思うに、ヒトとイヌは生物とひとくくりにされる前のことなので、ここまで拡がるとは思わなかっただろう。
十戒も造物主との約束である虹も、義人のためだった。その「人」のために仕える飼い犬。人と同じく十戒を与え、人とともに虹を通って造物主の元に戻る。ダンテの時代の人たちは、これをみてどう思うだろうか。
思えば、造物主と義人、そしてイエスの十字架の死と復活、といった具合にta pantosは拡がってきている。この分で行けば、ダンテの「神曲」地獄篇の入り口間もない辺獄(リンボ)にいる、イエス以前の賢人達もまた召し上げられるのだろうか。
振り返るに、やっぱりそのあたりのターニングポイントは、万人祭司を持ち出したプロテスタントのルター以後にあったのだろう。ここでぐっと間口が拡がったのではないか。
でも、社会主義やその敵である全体主義もまた、奇しくもプロテスタントの土地から生まれ、やがて「過ちだった」と収束していく。宗教の寛容性はそういうところにあるのかもしれない。
ペット、特にイヌを愛することが許される社会は歴史の波濤を越えてきたという意味で、精神的にも充実が保証されている社会なのかも知れない。
やっぱり、リンボも造物主の国の一部になり、ギリシャの賢人達も聖人に列せられる時代が将来、やってくるのかも知れない。たぶん、その頃わたしは生きていないと思う。
♪七色の谷を越えて
「花の街」 團伊玖磨


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